人は誰しも、生まれてから死ぬまでの間に、誰か助けを借りなければ生きられない期間が必ずありますね。
老いは必ず訪れる…介護にも人類の歴史と同じくらい、長い長い歴史があるのです。
今の介護が普通のものと思っている人も多いかもしれませんが、歴史があるからこそ、今があると言っても過言ではないでしょう。
では、介護の歴史とはどのようなものでしょうか。
残酷な一面もあるかもしれませんが、一緒に紐といていきましょう。
かつては、幼子や老人の「口減らし」という風習のある農村もあったようですね…。
60歳になった老人を山へ捨てに行くという民話「姥捨て山」も作り話なのか実話を基にした話なのか、諸説ありますが、そんな介護の「か」の字もなかった時代もあったわけです。
社会福祉の基盤が整い始めたのが戦後ですから、戦前やそれよりも前の日本は、制度的なものは未発達、加えて想像がつかないほど貧しく、高齢者の世話は家族が行うのが当たり前という時代でした。
戦後の高度経済成長とともに福祉制度も徐々に整備され、2000年より前までは、「老人福祉制度」と「老人保健制度」に基づいて高齢者サービスが提供されていました。
そして「老人福祉制度」は、「措置制度」とも呼ばれており、介護の必要の有無や利用できるサービスを決定するのは行政でした。
利用者にとっては縛りも多くて使いにくい制度だったのです。
そして「老人福祉制度」は低所得者のみを対象としていたため、中級以上の家庭ではサービスを利用できない場合が多く、ほとんどの高齢者は、在宅介護を余儀なくされていました。
こういった制度的な背景により、高齢者虐待や身体拘束に加え、介護する側の介護ストレスの問題も増えていったのです。
そのため、この時代に「介護地獄」という言葉が出てくるようになりました。
介護の状況を少しでも良くするために、2000年4月から始まったのが、「介護保険法」です。
介護保険法というのは、高齢者の介護を社会全体により支えていくものです。
介護を必要とする高齢者や家族に対して介護をサポートするサービスを受けられるという、とても理想的で躍進的な制度なのです。
今までは行政窓口に申請をして市町村がサービスを決定していたのですが、利用者が自分からサービスの種類や、事業者を選んで利用できることになりました。これは、とてもありがたい制度ですね。
医療と福祉に対しても、別々に申し込みを行う必要があったのですが、2000年4月以降は介護サービスのケアプランと呼ばれる利用計画を作って、医療や福祉のサービスをまとめて利用することが可能になりました。
すでに高齢社会を迎えた日本ですから、今後は介護の必要性は確実に増えていくでしょう。
それをネガティブな問題と捉える人もいれば、大きなチャンスと考える人もいるのです。
介護という分野は大きな可能性を秘めていますので、世界的に見ても高齢化の進んでいる日本が、海外の市場をリードする可能性も高いと言えるでしょう。
しかしながら、介護業界に携わる人は、積極的な発信をする場がない場合が多く、問題になりつつあります。
そのため、介護業界は過酷で辛い職場しかないという先入観が出来てしまっています。
その結果、介護未経験の方が二の足を踏んでしまう、近寄りにくくなっているという問題点があります。
人材についても、限られた人材を取り合うことになるのです。
これから先も、介護については、ますます人手不足の状態は深刻になっていくでしょう。
だからこそ、介護の仕事をする人は、様々な選択肢を持つことが出来るとも言えるのです。
介護の歴史はこれからも続いていきます。
より良いものにするのか、悪いものにするのかは、介護に携わる人だけの問題ではありません。
これから先、自分たちの子どもや孫の世代が介護と向き合うとき、よりよい制度・仕組みとなっているよう、全ての人が自分ごととして介護を見つめ、努力していくことが必要不可欠なのです。